2009年08月12日

自叙伝続きます!

今日も更新でございます。少し長いですが、文先生のみ言は深いですねー(>・<)

わたしが林を愛したのも、その中に世界の全ての平和があるからです。林の中の生命たちは争いません。もちろん、たがいに捕まえて食べたり食べられたりするけれども、それはお腹が減って仕方がないからそうするのであり、憎くてそうするのではありません。鳥は鳥同志、獣は獣同士、木は木同士、互いに憎み合う法がありません。憎しみなくてこそ平和が来ます。同じ種同士が互いに憎み合うのは人間だけです。国が違えば憎み合い、宗教が違えば憎み合い、考えが違えばまた憎みあいます。
今までわたしは200カ国に近い国を行ったり来たりしました。しかし、空港に降りたときに「ここは本当に平和で暖かいな」と思う国は多くはありませんでした。内戦によって、銃剣を高く掲げた軍人たちが空港を監視して、道路を閉鎖して昼夜を問わず銃声が聞こえるところも多くありました。平和を語ろうと尋ねたところで、銃により命を失うところだったことが一度や二度ではありませんでした。今日、私たちが生きている世界は、依然として、大小の紛争と葛藤が絶え間なく続いています。食べ物がなく飢えている人々が数千万ですが、軍事費に使われるお金が数千兆に達します。銃と爆弾をつくるけれども使うお金だけ惜しんでも、その多くの人たちが飢えの苦しみから免れることが出来るのです。
わたしは理念と宗教ゆえにお互いを憎んで恩讐とみなす国家間に平和の橋を架けることに人生を捧げました。イスラム教と基督教が和合するように会合の場を作ってあげ、イラクを間において対決するアメリカとソ連の意見を調律したり、北韓と南韓が和平するように助けてあげたりしました。お金や名誉が欲しくてしたことではありません。物心付いてからわたしの人生の話題は唯一つ、世界が一つになって平和に暮らすことです。別のことは願ったこともありません。昼夜を問わず平和のために生きることが簡単ではなかったけれども、ひたすらそうしているときが幸せでした。
冷戦時代に私たちは、理念により世界が二つに割れる苦痛を体験しました。その時は共産主義だけなくなれば、すぐに平和になるように見えましたが、冷戦が終わると今、より沢山の戦いが生じました。人種と宗教によって粉々になってしまいました。国境を向け合った国家同士が反目しても足らず、同じ国内でも宗教同士争い宗教で分かれて生まれた地域でまた分裂します。このように分裂した人たちは、お互いがお互いの怨讐になり、まったく心を開こうとしません。
人間の歴史を振り返る時、一番残忍でむごい戦争は国家間の戦争ではなく、人種間の戦争です。それも宗教を先立てた人種間の戦争が一番残酷です。二十世紀最悪の民族のもつれと言われるボスニア内戦では、イスラム教徒を根絶やしにするべく、人種清掃が行なわれ、子供を含む7000名余りのイスラム教徒が虐殺されました。ニューヨークの110階立ての貿易センタービルが飛行機で突っ込まれ二つに折れた9.11テロも記憶しています。この全てが民族と宗教間の紛争が招来した惨憺たる結果です。いまもパレスチナのガザ地区ではイスラエルが慣行したミサイル攻撃で数百名の人たちが命を失って、寒さと飢え、死の恐怖で震えています。
一体何のためにこのようにお互いを憎み殺しあうのか表面的な理由は様々ですが、その内実を詳しく調べてみると間違いなく宗教が関わっています。石油を巡って交えた湾岸戦争がそうであり、イスラエルを占有しようという、イスラムとイスラエルの紛争がそうです。このような人種主義が宗教という名分を肩に背負うとき、問題は本当に複雑になります。中世時代に終わったと思っていた宗教戦争の悪霊が20世紀にも依然として我々を苦しめています。
宗教戦争が絶え間なく起こる理由は、政治家たちが自身の利己的な欲望を満たそうとして、宗教間の敵対心を利用するためです。政治的な目的の以前から、宗教は方向性を失いふらふらしています。宗教が持つ本来の目的を失っているというのです。宗教は本来、平和のための存在です。全ての宗教は世界平和のに対する責任があります。しかし、逆に宗教は紛争の原因になったので嘆かわしいことです。その醜悪な裏側には、権力と資本を握った黒い政治が潜んでいます。指導者の本分は言うまでもなく平和を守ることですが、むしろその反対になり、世界を対立と暴力に追い立てています。
指導者の心が正しく立たなければ、国と民族は行く場所を失いさまようようになります。かれらは自身の腹黒い野卑な欲望を満たすために宗教と民族主義を利用するのです。宗教と民族主義の本質は悪くないですが、世界共同体に貢献するときにのみ価値があります。わたしの民族とわたしの宗教だけ正しいと主張しながら、異なる民族と異なる宗教を無視しけなすならば、その価値を失います。自己の宗教を主張して他者を蹂躙したり、他者の宗教を取るに足らないと見なして、憎しみを積み重ね戦争を引き起こすと言うなら、それはもう既に善ではないからです。わたしの民族、わたしの国だけ正しいと言うのも同じことです。
お互いを認め助け合って暮らすのが宇宙の真理です。下等動物ですらそれを知っています。猫と犬は互いに仲が悪いけれども、一つ屋根の下で共に育てるならば、互いの子供を抱いてかばって親しくすごします。こういうことは植物を見ても知ることが出来ます。木を伝って上っていくツタのつるは木の幹を頼って育ちます。しかし、木は「君はなぜわたしに巻きついて上るのか?」とツタのつるを責めません。互いのために与えながら共に生きることガ正に宇宙の原理です。この原理からそれれば必ず滅亡するようになります。今のように、民族同士、宗教同士互いにこきおろして争うことが続くならば、人類に未来はありません。絶え間ないテロと戦争により、いつかチリのように消滅することになります。しかし、希望がまったくないわけではありません。希望は間違いなくあります。
私はその希望のひもを話さずに人生を平和を夢見て生きて来ました。わたしの希望は幾重にも重なって取り囲む塀と垣根を壊してしまい、一つになる世界を作ることです。宗教の壁を壊し人種の垣根を乗り越えて、富める者と貧者の隙間を埋めたあと、むかし神様がおつくりに成った平和な世界を復元することです。お腹がすいた人も涙を流す人もいない世界のことです。希望がない世界、人間が足りない世界を治癒しようとするなば、私たちはもう一度幼いころの純粋な気持ちに戻らなければなりません。もっと沢山得ようという欲望を捨てて、人類の美しい本性を回復する道は、幼いころ父の背中におんぶされ学んだ平和の原理と愛の純潔を蘇らせることにあります。
posted by さとちゃん at 18:26| Comment(48) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月11日

文鮮明先生自叙伝

久々に更新します。文先生の幼少期を知る内容が盛りだくさんです(^0^)

1. ご飯が愛である
父の背中におんぶされ学んだ平和

わたしは生涯一つの価値だけ考えて生きてきました。平和な世界、戦争と争いがなく、全世界が愛を分かち合って生きる、そんな世界を作りたかったのです。こういうことを言うと誰かは「いや、どうやって小さいころから平和を考えて生きてきたというのですか?」と聞き返しました。平和な世界を夢見ることが、果たして雄大なことなんでしょうか?
わたしが生まれた1920年は日本がわが国を強制的に占領していた時でした。解放以降にも6.25動乱、外患危機など、力に余る混乱を様々順番に経験しこの地は平和とは程遠い歳月を送らねばなりませんでした。このような苦痛と混乱は単にわが国のことだけではありませんでした。第二次世界大戦とベトナム戦争、中東戦争など世界の人々は絶え間なくお互いを憎み合い、銃で狙い、爆弾を爆発させました。肉が裂かれ、骨が折れる混乱を経験した彼らにとって、平和とは夢でも見るようなことだったかもしれません。けれども、平和を実現することは決して難しいことではありません。わたしを包む空気、自然環境、そして人々に私たちは間単に平和を探し出すことができます。野原を我が家のように考えてすごした幼少期、わたしは朝に晩に、一つの器を要領よく空にして、飛び出して一日中を山に川に歩き回りました。あらゆる鳥と動物がすんでいる、林の中を駆けずり回り、草や木の実を摘み取って食べれば一日中お腹がすくことも知りませんでした。幼いながらも、林の中にだけ入っていけば、心と体が平安になるのが感じられました。
山ではしゃいで寝入ってしまうことも多かったです。そういうときであれば、父が林にわたしを探しに来てくれました。「龍明!、龍明!」という父の声が聞こえれば、眠りながらも、微笑がひとりでに出て嬉しかったのものです。わたしの若いころの名前は龍明です。わたしを呼ぶ声にすぐに目が覚めたけれども、眠ったままにし、ひしとおんぶされて行ったその気分、なんの心配もなく気持ちがだらっと乗っかる気分、それがまさに平和でした。そうやって、父の背中におぶさって平和を学びました。
posted by さとちゃん at 22:39| Comment(10) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月29日

文鮮明先生の自叙伝を読もう

皆さんこんにちは。つたない韓国語の力ではありますが、韓国で出版されベストセラーとなった文鮮明先生の自叙伝「平和を愛する世界人として」の日本語訳を少しづつ紹介します。とりあえず今回は序文のみ掲載します(^0^)

平和を愛する世界人として                文 鮮明

序文:冬の旱魃の終わりに夜来の春雨が降りました。どれほどにうれしいのでしょうか、朝の間ずっと庭をあちらこちら行ったり来たりしました。雨にぬれた地面では、冬の間中ずっと嗅ぐことの出来なかった土のにおいが立ち上ってきたり、シダレヤナギとか、山桜には、青い雪解けのしずくがプルプルと震えていました。あちらこちらで、にょきにょきと新しい生命が芽吹く音が聞こえるようです。あとについて出て来た女房は、いつの間にか乾いた芝の上にぴょこんと突き出た若いヨモギを摘み取ります。夜間に降った雨のおかげで、全世界がかぐわしい春の庭園になりました。
世の中が騒がしかろうがなかろうが、三月なので間違いなく春が来ています。老いるにつれますます、このように冬が過ぎれば春になり、春になれば花が満開になる自然がいっそう尊く感じるようになります。わたしが何であろうと、神様は季節ごとに花を咲かせ、雪を降らせ、生きている喜びを下さるのか、胸の内のあの奥深い場所から愛が満ち溢れて,のどが詰まったような感じになります。本当に尊いものをただ同然で頂いたという思いに目頭が熱くなります。一生を世界平和のために東奔西走し、地球を何べんも回りましたが、ここ、春が訪れる庭にて平和そのものを体験します。平和はむしろ神様が無条件に下さるものだけれど、私たちはそれをどこかで失い、まるっきり別の場所で探そうと努力しているのか、角が立ちます。
平和世界をなすために、わたしは一生の間、世界の隅々を探してたずねて行きました。飢えた子供を成す術なく見守るばかりのアフリカのお母さんたちと、釣りをする術を知らず、川の水の中に魚がたくさんいるけれども、食べさせられない南米のお父さんたちにも会いました。わたしは彼らに食べ物を少し分けてあげただけなのに、彼らはわたしに愛を施してくれました。わたしは愛の力に陶酔し、原始林を掘り起こし、種を植えて、木を切り学校をたて、魚を捕まえてお腹がすいた子供たちに食べさせてあげました。蚊に全身を刺されて、蚊を夜の間すっと捕まえても幸せでしたし、黄土の中に脛がずぼっと沈んでも、寂しそうな隣近所の顔からかげりが消えてしまうのを見るのが嬉しかったのです。
平和世界にいたる近道を探して、政治を変化させ世相を変えることに熱中しもしました。ソ連のゴルバチョフ大統領に会って共産主義と民主主義の和平を指導したり、北韓の金日正とも会って韓半島の平和について談判しました。また、道徳的に崩壊していくアメリカに行き、宗教も精神を覚醒させる消防士の役割をして、世界の紛争を防ぐことに没頭しました。イスラム教徒とユダヤ人の和合のために、テロが横行するパレスチナに入っていくことを恐れず、ユダヤ教とイスラム教、キリスト教徒たち数千名をあつめて和解の広場を準備し、平和行進を始めることもしましたが、葛藤はいまだに続いています。
しかし、いまわたしは、わが国で平和世界が大きく開かれる希望を見ています。おびただしい苦難と分断のかなしみで鍛錬された韓半島で世界の文化と経済を牽引していく機運が満ち溢れほとばしるのを全身で感じます。新しい春が来るのを妨げられないように、韓半島に天運が訪ねてくることも、私たち人間の力ではどうにもなりません。押し寄せる天運に従って、私たち民族が共に跳躍するため、心と体の準備をしっかりしなければならない時です。
わたしは名前を自慢しても、世界ががやがや騒がしくなる世界の問題人物です。平和も名誉も欲しがらず、ただ、平和だけを語り生きてきただけなのですが、世界はわたしの名前の前に沢山の別名をくっつけて拒否し石を投げつけました。わたしが何を語るのか、何をする人間なのかは知ってみようともせず、ひたすら反対からしました。一時、植民統治時代と、北韓共産政権、大韓民国・李承晩政権、そしてアメリカから生涯六度も主権と国境を出入りし、いわれのない獄苦を通過しながら、鉄格子が仲間であり、血を流す苦痛を経験したけれども、わたしの心の中には小さい傷一つ残っていません。真の愛のまえに傷は何でもありません。怨讐でさえも真の愛のまえでは跡形もなく解けてなくなります。真なる愛は、与えてまた与えても依然として与えたい心です。真の愛は愛を与えたということさえも忘れて、また再び与える愛です。わたしが生涯そのような愛に酔って生きました。愛以外には他のどんなものも願ったことがなく、困っている隣近所と愛をわけることに自分自身を捧げてきました。愛の道が大変で、涙が流れ、膝が折れたとしても、人類に向けた愛に捧げる心は幸福だったのです。
今もわたしの心の中にはまだ全部与えられなかった愛が一つ満ちています。その愛が干からびた大地を潤す平和の川の水となって、世界が終わる日まで流れることを祈りながら、この本を世界に発表します。ちかごろ、頓にわたしが誰なのか尋ねるひとが増えて、少しでも、彼らの助けになろうとこれまでの人生を振り返って正直に話をこの本に入れました。本の分量の限界ゆえ、まだ全部お伝えできない内容は、次の機会にお伝えできることを希望します。
その間、わたしを信じわたしの側を守って、一生を共にした全ての人たちに、全ての難しい峠を共に切り抜けてきた感謝してやまない妻・韓鶴子に限りない愛を送ります。終わりに、この本が出るまで、沢山の精誠を注いでくださった、出版社のパク・ウンジュ社長とわたしが自由に話してしまい、複雑だった内容を一般読者にも理解しやすいように整えようと玉のように汗を流してくださった出版社の関係者の皆様に心から沸き出る感謝の意を表したいです。
         
       2009年3月1日 慶畿道 加平にて     文 鮮明
posted by さとちゃん at 20:52| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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